源頼朝、義経兄弟の父であり、平清盛の終生のライバルと言われたのが、源義朝です。
保元の乱(1156)で戦功をあげた義朝は京での力を伸ばしましたが、3年後の平治の乱(1159)に敗れます。
義朝が京から野間(現在の愛知県美浜町野間)に逃れ着いたのは年末の餅つきの日でした。あまりの空腹であった義朝一行はまだ餅になる前の強飯を手づかみで食べたそうです。身を隠す野間で、義朝は入浴中に襲撃を受けます。その際、最後に『我に木太刀の一本なりともあれば』と無念を叫んだといいます。義朝の墓はその終焉の地である野間大坊の境内にあり、上記の故事にちなんで多数の木太刀が供えられています。
これらのストーリーをもとに生まれたのが「源義朝御膳」。まず強飯を「つきかけの餅(おこわ)」、『せめて木太刀の一本・・・』と言った義朝公のお墓に奉納される「護摩木」にお料理を盛りました。また和食で源平とは紅白を備えること。源氏の旗は白、平家が赤。これを鍋に仕立てたのが、源義朝御膳のメインでもあります「源平鍋」。
この鍋は、白い鍋の汁が赤へと変わり、平治の乱で河内源氏が敗れたことを表現しました。
2012年大河ドラマ「平清盛」の放映がきっかけでできたこの御膳。愛知県美浜町野間地区は源義朝ゆかりの地であり最後の地でもあります。
「湯殿跡」・「はりつけの松」・「血の池」と共に、源頼朝公が父・義朝公の菩提を弔うために建立した「野間大坊・大御堂寺」があり、野間大坊の境内には義朝の首を洗ったとされる池があります。
昼食2,750円(税込)から
食べられる場所
※メニューは各旅館によって異なります。
お食事された方全員に野間大坊、義朝公ご奉納用「木太刀の護摩木」をプレゼント。