小城羊羹

                   
Widget Area

歴食の紹介
小城は江戸時代、小城鍋島氏の城下町で将軍家に砂糖を献上するなど砂糖が手に入りやすい地域でありました。また、有楽流の茶道が盛んな地域でもあったため、明治時代 に入り本格的に羊羹業が始まったと思われます。
日清、日露戦争から太平洋戦争の時期には携帯食保存食として重宝され、久留米の陸軍、佐世保の海軍等に納められました。
また、江戸時代に佐賀本藩の祈祷所であった小城の清水観音は、明治時代になると
庇護がなくなり道も荒れ果てていましたが、佐賀に帰郷した大隈重信が荒廃ぶりを見て寄付を募り参道の整備を行いました。 鉄道の開通もあり遠方からの参拝者も増え土産 として、羊羹の売り上げも増大しました。
“ 現在、小城羊羹協同組合には22店が加盟し「小城羊羹」を製造販売しています。”
人口当たりの羊羹屋が日本一多い羊羹の町として知られており、11月には「日本一!ようかん祭り」も開催されています。

歴食の特徴
水分の多い羊羹は、水で味が左右され、天山の花こう岩で磨かれた名水は小城羊羹のおいしさの由来の一つとされています。
伝統製法の「切り羊羹」は全国的には珍しい江戸時代からの製法が残されており、「中は柔らかく、外は砂糖のシャリ感がある」味わいが好評です。

再現時の苦労した点や、完成時の感想
天候や季節に応じて、羊羹の煉り具合を調整しており、「羊羹煉り十年」といわれるほど難しいといわれています。

取り組んでいる団体の紹介
小城羊羹協同組合