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さまざまな文献に残る松陰の大福好き

①嘉永4年(1851)3月5日、松陰は兵学研究のため江戸へ赴き、4月9日江戸に到着。以後、江戸藩邸内に居住し修業していた。
②5月5日の家族宛ての手紙には食事はご飯と金山寺味噌や梅干しなどで節約していると書かれ、③当時の費用録(小遣い帳)には硯や半紙、本など学問に必要な文具と食べ物は豆や漬物など質素な食材を購入していたことが記されている。
食事を節制し身を律して勉学に励む生活ぶりが伺える中、費用録に何度も「もち」の文字が登場する。
④江戸では餅菓子が庶民に親しまれていたおやつで、大福餅が流行り、⑤松陰は大福餅が大好物で唯一の散財であった。
⑥5月には1ヶ月間に6回「もち」を購入し、⑦費用録のはじめには「口腹の欲は感に應じて發す、斯の錄を見れば、泯然として沮喪す。」(意訳:誘惑に負けてしまい買い食いをしてしまった。この記録を見返すと恥ずかしくがっかりする。)と自ら書き残している。

【読み方】「口腹(こうふく)の欲(よく)は感(かん)に應(おう)じて發(はっ)す、斯(こ)の錄(ろく)を見(み)れば、泯(みん)然(ぜん)として沮喪(そそう)す。」

※【参考文献】
①『吉田松陰全集 第九巻』大和書房(昭和49)P129
②『吉田松陰全集 第七巻』大和書房(昭和47)P43
③『吉田松陰全集 第九巻』大和書房(昭和49)P131~P 136
④『図説和菓子の今昔』青木直己/淡交社(平成12)P103
④『事物起源辞典(衣食住編)』東京堂出版(昭和52)P230~P 231
⑤『松陰余話』福本椿水/マツノ書店(昭和39)P61
⑥『吉田松陰全集 第九巻』大和書房(昭和49)P133~136
⑦『吉田松陰全集 第九巻』大和書房(昭和49)P129

 

『松陰先生の大福餅』へのこだわり

『餅』さながらの生地現代では大福といえば白玉粉または餅粉を練り上げた求肥の生地で作られるもの多くありますが、もともと大福餅とは餅を薄く延ばし小豆餡を包んだもの。
「松陰先生禁断の大福もち」はもち米をついて粘りをだし、もち本来の弾力と味わいを生かした餅生地が特徴です。米の味わいを引き立たせるために塩を加えて餅をつき、餅生地の柔らかさを持続させるため、蒸して餅をつく作業を二度繰り返す製法で作っています。

松陰先生のことば付
「松陰先生禁断の大福もち」には松陰先生のことばと解説を記載した栞が1個につき1つ入っています。全部で12通り。
どれが当たるかは蓋を開けてのお楽しみです。大福もちをきっかけに、甘いものが好きだった松陰先生の親しみやすい人柄と、松下村塾で多くの志士を育てた松陰先生の志を伝えます。

価格1個150円(税込)
製造 久光製菓所(山口県萩市)
販売 道の駅萩しーまーと(山口県萩市)