歴食の紹介
戦国期、広島県を含む中国地方は毛利元就と3人の息子たちによって治められ、元就とその長男、毛利隆元は郡山城(現在の安芸高田市)、次男、吉川元春は日山城(北広島町)、三男、小早川隆景は新高山城(三原市)を本拠としていました。
安芸高田市、北広島町、三原市は、平成28年(2016年)3月に「三矢の訓協定」を締結、平成29年(2017年)8月には「毛利三兄弟のふるさと連携協議会」を設立し、三市町の有する文化財等の資源を活用、地域の魅力の共同発信に取り組んでいます。
そして、県立広島大学健康科学科に『元就公山口御下向の節饗応次第』に記された饗応献立の再現を依頼、平成30年度(2018年度)に再現にむけての検討が始まりました。
『元就公山口御下向の節饗応次第』には、毛利元就が吉川元春、小早川隆景を伴って、1549年(天文18年)に、山口の大内義隆を訪問した際の6回分の饗応献立が用いた食器具とともに記された極めて貴重な史料です。記録された6回の饗応のうち4回は毛利氏側への饗応、2回は毛利氏側からの饗応と考えられ、また、3か月の滞在期間、大内義隆をはじめ、陶隆房、青景隆著等の諸将と連日のように饗宴を行っていることがわかります。
2年の検討を経て、令和2年(2020年)3月に、県立広島大学は、再現した饗応献立の一部を掲載した小冊子「戦国期毛利氏の饗応献立」を発行し、地域での饗応献立の活用の基盤が整えられました。
戦国期の饗応献立は季節や日々の情景を感じさせる豊かなものでもあり、「季節のものを食べる」など、その食意識は、現在の和食とも通じます。「サムライゴゼン~毛利食~」は当時、貴重だった砂糖や、なかった醤油は用いず、「酒、塩、酢、味噌、蜂蜜、だし」で味付けしています。「サムライゴゼン~毛利食~」は、当時に思いを馳せ、心を幸せにしてくれます。